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このページでは、レコーディング&マスタリングエンジニア葛巻善郎のご紹介をしております。

レコーディング&マスタリングエンジニア葛巻善郎

1969年

東京武蔵野市生まれ

1979年

父親の仕事の都合で渡米

1990年

尚美学園短期大学卒業(作曲専攻)

1992年

東京コンセルヴァトアール尚美音研コース卒業

練馬区にある音楽スタジオラウム388のオープニングスタッフとなる

1999年

共同経営者と共に (有) シーエムパンチ設立  

2001年

(有) シーエムパンチ脱退 

個人事業主としてスタジオCMpunchを設立

現在に至る

ごあいさつ

僕のホームページに訪れたことがある方も、初めての方も本日はご覧いただきましてありがとうございます。

レコーディングとマスタリングのエンジニアをしている葛巻善郎です。僕はレコーディングとマスタリングを通してお客様の作成された楽曲を美しいサウンドで記録していくお手伝いをさせていただいています。

このホームページは、僕が日々考えていることや活動の報告、また、レコーディング・マスタリングについて、みなさんに知っていただきたくて作りました。

音楽制作の経験がありレコーディングやマスタリングについて充分ご存じな方も、音楽制作はほとんど初心者という方にも、大切な作品作りのお手伝いをさせていただくわけですから、使用している機材やスタジオの紹介だけではなく「僕という人間を知っていただけたら・・」という思いでホームページを運営しています。

今の時代「レコーディング、マスタリングをどうするか」にもいくつかの選択肢がありますから、お客様の大切な楽曲を「誰に任せれば正解か」はそれを本職にしている僕にでもわかりません。僕は今まで様々なジャンル、世代の作品作りに携わってきましたが、経験を積めば積むほど、それぞれの音楽にそれぞれに適合したレコーディングやマスタリングがあり「こうすれば完璧」という、どの音楽にも当てはまるセオリーはないな、と思っています。もちろん経験から得た共通した技術はありますが、常に 「この音楽にあったレコーディング、マスタリングを」ということを模索しながら仕事をするのが僕のスタイルです。

既存の楽曲から、このサウンドに近づけたいというご要望があればお聞きしますが、最終目的は「あなたの音」を作ることですから、僕の行うレコーディングやマスタリングではそっくりそのまま「あのCDの音」が再現されるということではありません。

レコーディング、マスタリングは機材やコンピューターを介しての作業が多くなりますが、それでも誰がどんな風にどんな環境で行うかで内容はだいぶ違ってきます。僕という人間を身近に感じてもらい、ポリシーを気に入っていただけたなら、大切な一曲を是非、音楽制作スタジオCMpunch でのレコーディング、マスタリングで体感なさってみてください。

「この音楽、なにかいい」その、リスナーには明確にならない「なにか」を付帯させるお手伝いをさせていただきたいと思っています。

最後になりましたが、皆様のご健康とご多幸を祈念して、音楽制作スタジオCMpunchホームページkuzumaki.net のご挨拶とさせていただきます。

これからもどうか引き続き 音楽制作スタジオCMpunch をよろしくお願い致します。

音楽制作スタジオCMpunch 代表 葛巻善郎

葛巻善郎という人について

英国の音楽シーンには異変が起きていた。

全英アルバムチャートでキング・クリムゾンのデビュー盤『In the Court of the Crimson King』がビートルズ『Abbey Road』を蹴落し1位を獲得。翌1970年、ビートルズは正式に解散を発表した。

1969年、東京都武蔵野市出身。

英文学者でありクラシック音楽しか聴かないという厳格な父と、数学教師であり読書好きのおおらかな母のもとに生まれ、5歳頃からピアノのレッスンに通うようになる。

10歳の時、父親の仕事の都合でアメリカ合衆国ウィスコンシン州にて海外生活を経験する。

「日曜日の朝には友達の父親に連れられて近所の教会へ通った。そこでミサ曲の美しい響きを知った。度々友人宅で催されるパーティーに行っては、皆で歌を歌い音楽の楽しさを知った。」

その頃の体験に「響きや奥行きを重視する今の音作りの原点がある」と彼は言う。

しかしまだこの時、少年葛巻善郎は自分が将来たくさんの素晴らしい音楽を創る過程に参加できるとは考えもしなかった。

彼は草野球に夢中だった。落語や、ミステリー小説が大好きで皆の前で得意の一説を披露するひょうきんで活発な子供時代を過ごした。学校へ行って、野球をして、本を読んでピアノのレッスンへ通う平凡で平和な毎日。

そして成長し、誰しもが経験する子供と大人の境い目で彼の生活環境に大きな変化があった。自分の力の及ばない、その大きな変化によって、葛巻善郎は今までに経験したことのない絶望的な無力感を抱えることとなった。

無邪気で明るかった彼は次第に自分の内へ入っていくことが多くなった。

晴れない日常を繰返す毎日、ある日とても衝撃的な音楽と出会う、それはバスの中だった。中学時代の遠足でクラスメイト達と目的地へ向かう途中、友人が掛けたある音楽が葛巻善郎の人生を動かした。

ABBAだ。

『こんなに自由な音楽もあるのだ』と改めて知った彼は音楽に夢中になっていった。

クラシック音楽しか聴かない、聴いてはいけないという父に内緒で毎夜ヘッドフォンをベッドに持ち込み音楽を楽しんだ。

好きなロックンロールを聴いている時、彼はその世界に没頭した。
彼は音楽だけが唯一、自分の存在を肯定してくれているように感じていた。

音楽のただならぬ力を感じた彼は生涯をかけて音楽の道を行こうと決意し、高校卒業後、1年の浪人生活を経て向美学園短期大学・音楽学科へと進むことになる。

学校生活は快適だった。
念願だった本格的な作曲の勉強を始め、当時のバンド仲間から誘われて練馬区にあるスタジオ・ラウム338 のオープニングスタッフとなる。

「当時は仕事以外の時間もスタジオに通いつめ、自分のバンドのレコーディングなどでとことん機材を使った。まだ DAW が主流になる前で Souncraft の卓があり、アナログ・マルチから a-dat へとメディアが移り変わる中、コンソールでミックスする基礎を学んだ。」

同級生と組んだカバーバンド、The Duetsではキーボードを担当し、いくつかのステージに立った。
バンドではカーペンターズやエリック・カルメンを演奏していた。評判は上々だった。

学校やスタジオでは、たくさんの素晴らしいミュージシャンとの出会いがあった。
しかし、そんな素晴らしいミュージシャンとの出会いは、喜びと同時に彼にある残酷な事実を知らせる手段にもなった。

「自分より素晴らしいプレイをする演奏者、感動的な曲を書く作曲家がいることが明白になった」

環境のよいスタジオで、素晴らしいミュージシャンの生のプレイを目前にする毎日。
演奏者、作曲者としての自分の現実。

人生の岐路に立たされた時、学園の恩師が『やりたいことではなく、できることを見つけなさい』と助言したことをふと思い出し、葛巻善郎の関心は自然と演奏者、作曲者からエンジニアへと移った。

幸運なことに、学園では音響の授業も取ることができ、彼は頭と身体で【音】について学ぶことが出来た。

「仕事帰りの車の中、さっき感動したばかりの演奏とはまるでちがう記録がCDに残っていた。CDにパッケージされた音と実際演奏された音の違いに違和感を感じるようになっていった。」

いつも音楽の純粋で新鮮な感動を録るにはどうしたらよいのだろう、ということに考えを巡らせ、様々な方法でのレコーディングに挑戦した彼だが、良い音とはどんな音か悩み、こだわり、良い音を追求した音作りではなかなか納得のいく方法は見つからなかった。

学校を卒業した彼は市ヶ谷にある専門学校、東京ビジュアルアーツにて、非常勤講師として主にDTMの授業を担当していた。そこで後に彼の共同経営者となる男性と出会い、2人で会社を設立した。(有)シーエムパンチは音楽制作とホームページ制作を主な業務とする会社で葛巻善郎は音楽部門を担当していた。(有)シーエムパンチでの仕事は、はじめこそ依頼も少なく、営業に巡る日々を過ごしたが、徐々に信頼される会社へと発展していった。ところが会社の成長につれて共同経営者との方針の違いをカバーすることが難しくなり、葛巻善郎は憤るようになっていた。そこでたいへん無念ではあったが会社立上げから3年目、自ら起こした会社を脱退し、個人事業主音楽制作スタジオCMpunchの設立を決意した。

本当にひとり、独立しての再出発は初めこそ不安もあったが、彼の音楽にかける情熱や、周りの人たちの温かい支えが彼の不安を払拭した。

代表取締役時代の経験を通して、人とのコミュニケーションをより大切にできるようになった。と彼は言う。

「『エンジニア』というといつもパソコンの前で作業をする機械に詳しい人、という印象があると思います。でも僕が好きなのは機械ではなく音楽です。自分が業務で使用する機材についてはもちろん勉強していますが、システム全般を熟知している機械マニアではありません。言うならば僕は音楽マニアです。仕事でも“音楽”ですが、自宅にキーボードを置いて趣味で演奏したり、地域のゴスペルコーラスグループに所属して歌ったり、プライベートでも音楽満載です。」

「音楽は素晴らしいです。僕はたくさんの時間、たくさんの音楽を聴いています。だから音楽制作エンジニアとしてどんな響きが心地よいのか、そのバランスを冷静に感じ取ることができているのです。」

葛巻善郎は常に進化している。
多くの素晴らしいミュージシャンから信頼されるようになった今でさえ、もっと良い音楽、伝わる音を追求している。

「良い音を作るのではなく、良い音楽を作るのが僕の役目である、と思っています。レコーディングでもミックスでも様々な工夫をしていますが、聴く人にはそれを感じさせず、最終的には自分の存在を完全に消したいのです。『この曲良いね』と言ってもらえれば、それが一番の幸せです。」

葛巻善郎は、辛かった時代を音楽に救われている。彼は音楽に感謝し、こころから音楽を愛している。

だからこれからもずっと、世代やジャンルを超えて 素晴らしい音楽 を永久に応援していくだろう。

葛巻善郎、全体を見回してひとつを創っていく人だとわたしは思う。

2007年12月に行われたインタビューを終えて

nori tamaki